今帰仁城跡

沖縄最後の日は残念ながら天気が悪く、朝からぽつぽつと雨。それが、朝食を食べているうちに本降りになってしまった。しかたなく、土産物屋の片隅のコンビニコーナーでビニール傘を購入。今日はアウトドアを歩き回るの予定なのである。

といいつつ、車を走らせて目的地に着いたころには雨はやんでいた。目的地は、世界遺産にもなっている今帰仁城(なきじんぐすく)跡。本部から程近い今帰仁の山の上にある、中世の城の跡。遠い昔に燃えてしまって建物は現存していないが、りっぱな石垣で多重に郭(くるわ)がつくられた、堂々とした城跡である。ちなみに、日本の百名城の98番目でもある。最近城の魅力に目覚めた身としては、なんとしても訪れてみたい場所。

15世紀くらいの三山時代に、沖縄本島が北山・中山・南山の3つに分かれて争っていたころ、北山の拠点だった城。そのあと北山は首里尚巴志に滅ぼされ、北山統治のための監守の駐在所となる。が、1609年に薩摩藩琉球侵攻した際に、やけうちにあって、今は建物は残っていない。


(主郭に残る、建物の跡)

時代の古い城のためか、各郭が完全に水平になっていなくて、斜面を生かしたゆるい造りになっている。緑の芝生の斜面に、昔の建物の礎石が残っていて、当時をしのばせる。わりと小ぶりな建物が多い。瓦が発掘されないことから、木造で葦ぶきの建物ではないかと推測されているらしい。おきなわ郷土村で見た、アジアンな建物を想像した。


(絶世の美女だと伝わる北山王の側室の名前にちなんだ、志慶真門郭(しじまじょうかく)と呼ばれる場所。城主に使えた身近な人々が住んだと考えられている)

沖縄の城の特徴だと思うのだが、ゆるい斜面の丘の上に立った城から、海がよく見える。多くの場合に敵は海からやってきただろうから、海が見えるところに城を建てるのが必須だったのではないかなあ。といっても、まだ沖縄の城は首里今帰仁しか訪れていないので、今後他の城についても検証していきたい。


(頂上から、海を見渡す)

斜面に立ってる城の下のほうで、数人の女性が作業をしていた。草を刈ったり、花を植えたりしているらしい。一休みしてお茶を飲んでる横をすり抜けて「大隈」と呼ばれる郭の方に歩いていったら、そのうちの一人が追いかけてきた。

入ってはいけないと怒られるのかな、と思ったら、

「シークワーサー、いらんね?」

という意外な言葉。
えっ、とびっくりしたが、大隈に何本かシークワーサーの木が生えていて、食べごろだからもっていけ、ということらしい。

えー、いいんですか? じゃあお言葉に甘えて、と手を伸ばして実を2つ、苦労しつつもぎとったら、この内地人の不器用さにあきれたらしい女性はするすると木に登り、

「もっと持っていきなね」

といくつもシークワーサーの実を取って渡してくれるのだった。
観光地で、生えてるものを取ってはいけないと怒られることはあれど、どんどんもってけと言われたのは生まれて初めて。(しかも、世界遺産の中なのであるが...いいんだろうか)
沖縄って、日除けに植えたゴーヤやパパイヤが一年中とれたり、その辺に生えてる草を島野菜として美味しくいただく土地だから、生ってるものは美味しく頂いてあたりまえのお土地柄なのかな。観光客の少ない北部ならではという感じもするが、なんとも素敵なユルさ...。


(メインゲートである平朗門へと下る道)