熊野速玉大社と神倉神社のゴトビキ岩と

熊野速玉大社

熊野詣の最終日は、午前中ちょっとだけ新宮市内の観光名所を巡ることにした。
新宮は紀伊勝浦より12kmほど北側のわりと開けた街である。しかし温泉がないため観光客が来ないらしく、駅前にもみやげ物を売る店などなにもなく、ちょっと寂しい。

しかし新宮には熊野三山の一つ、熊野速玉大社があるのだ。明治時代に神殿が焼失して昭和28年に再建されたとのことで、ピカピカの神殿は明るく、白と朱のコントラストが映えて美しい。300円で拝観できる薄暗い宝物殿があり、照明もケチってるし陳列もやる気なさげなのだが、国宝と重要文化財がゴロゴロと無造作においてあってビックリした。あの宝物殿を綺麗にしてもっと宣伝すれば観光客が来そうなものだけど。

熊野速玉大社。

神倉神社のゴトビキ岩

ちょっと離れたところにある、神倉神社というのにも行ってみる。急な長い石段を登って小高い丘の上に出ると、ゴトビキ岩という奇妙な形の大岩が危ういバランスで斜面に乗っかっており、これがご神体である。ここも神殿はない。丘の上からは市内がよく見渡せて気持ちいい。

ゴトビキ岩。

しかし、この石段がなかなか曲者なのであった。源頼朝が寄進したらしいが、段が狭く、急で、しかもちょっと傾いていたりして怖いことこの上ない。登るのはなんとか普通に登ったが、あまりに怖くて降りるときは三点支持しながらでないと降りられなかった。野球のユニフォームを来た地元の高校生が、大汗をかきながら登ったり下りたりししてトレーニングしていた。

神倉神社の石段。

徐福公園と浮島の森

あと市内の見所らしきものはあまりないのだが、秦から不老不死の薬を求めて蓬莱山に来た徐福が漂着した地とか、徐福をまつった徐福公園などというのがある。熊野川河口近くの阿須賀(あすか)神社はこざっぱりした小さな神社で、境内に徐福の宮という小さな祠。

天然記念物だという浮島の森にも行った。外から見ると分かりづらいが、沼の中に完全に浮遊した浮島があり、この浮島の中の遊歩道を歩くことができる。といっても今は浮島の3方は座礁した形になっており、ゆらゆらと東西南北に移動するわけではない。移動できるくらいの浮島らしさを取り戻すプロジェクトが進行中らしい。

浮島の様子。

昼過ぎに新宮発の特急電車に乗り、名古屋まで。名古屋でちょっとだけビールなど飲み、デパ地下でいろいろお土産を仕入れて帰京。熊野に行ったのに、みやげ物は名古屋ばっかりになってしまった。

  • 今回の反省:
    • 熊野古道のメインルートは大阪から紀伊半島の西側を回り、田辺あたりから山中に入ってくる中辺路コース。次回はこのあたりを中心に、もっとしっかり歩けるプランを立てたい。
    • 僻地で公共交通機関を使いこなすには綿密な調査とプランが必要。(しかしギリギリまでプランを確定したくない性格なので難しい...)