歳を取ったということなのか

私は挨拶をするのが好きである。朝には「おはようございます」とか、帰りしなには「お疲れ様でした」とか、きっちり挨拶したがる傾向がある。一つにはそういう些細なコミュニケーションが大切だという信念が、どこかにある。

上司や同僚にももちろん挨拶するが、掃除のおじさん・おばさんにももちろん挨拶する。ホワイトカラーな職業についていると、どうしてもブルーカラーな職業の人々を軽く見ている、と思われる人が鼻について、すごく嫌になる。掃除のおじさん・おばさんに通常以上に丁寧に挨拶するのは、そういう鼻に付く人々への敵意が半分、大変な仕事をしている方々への敬意が半分である、といえる。職業に貴賎はない、というのが私の大モットーなのである。

だから、挨拶を無視されるのは嫌いだ。
私の勤務先はテクノロジー一筋な人や、社会人としての一般常識を要求されることなくすごして来た人も多く、「おはようございます」が空しく壁に吸い込まれて、こだますら帰ってこないことも多い。昔だったらイチイチ怒りまくっていたところだが、アメリカでの2年間の生活は私に、自分の価値観で計ることのできない人が世の中には沢山いるんだということを教えてくれた。なので最近は、あまり怒らずにあきらめてやり過ごす。悲しい気持ちは救われないが挨拶ができない人がいてもその事実を気にしないですむことができるようになった。

本日は私の通う学校の飲み会であった。幹事だった私は清算を終えてトイレに行ったのだが、その隙に出席者のほとんどは散会してしまっていた。普通、こういう飲み会って、最後に店の前で「お疲れ様でした!」「じゃあまた明日」みたいな挨拶をして別れるのが常識ではなかっただろうか。ぽつねん、と店の前に取り残されて、なんだか非常に後味が悪い。
同じくトイレに行っている間においてきぼりを食った人があと二人居て、彼らも(幸いにも)私と同じ感想を持っていたために、多少救われた。でも、(せっかく苦労して幹事までやってるのに、などという)空しい気持ちはやっぱり残る。こういう違和感を感じるのが、歳をとった証拠なのかもしれないな。

昔に勤めていた会社はある意味クラッシックで、こういう場面で叱ってくれる人が必ず居た。「おまえら、なにやっとんねん。社会人としての常識や!」と。(関西弁とは限らないが)
そういう人達はもはや貴重なのだと気づいた今日この頃。