アイデンティティ

アイデンティティとは何であろうか。ぴったり意味の合う日本語の単語が無いこの言葉は、しばしば外来語としてそのまま使われる。広辞苑によると「人格における存在証明または同一性。ある人の一貫性が時間的、空間的に成り立ち、それが他者や共同体からも認められていること。自己の存在証明」だそうである。
ますます分からなくなったが、技術な世界だと identity はしばしば、誰か(もしくは何か)を特定するための記号を意味する。たとえば、名前。もちろん同姓同名の人もいるけれど、まず名前がありき。さらに住所や生年月日や電話番号などの情報を追加していくことで、ほとんど確実に、ユニークに個人を特定することができる。
もちろんe-mailアドレスや住基台帳番号のように、その成り立ちや用途からしてユニークになるように設計されている記号もあるけれど、「あなたは誰ですか」と聞かれてこういう記号を答える人は普通いない。一方、名前はアイデンティティと密接に関連している。子供の名前の付け方によって、性格が変わるという研究すらあるくらいだ。

前置きが長くなったが、昨日区役所に転居の届け出に行った際に、奇妙なことが発覚した。私の名前は本当は何なのか、よくわからないのである。
もともと私の姓は少々珍しいのだが、本人の信じる正しい漢字で書くと、コンピュータで表示できない。JISコードに含まれず、Unicode でも包摂(似ている字をマージした)されてしまったいわゆる旧漢字なのである。仕方が無いので普段のコンピュータ上の生活では、字形の似ている字を使って間に合わせている。しかし、本来の名前というものにこだわりがあるため、手書きでサインする時は、かならず旧漢字を使っていた。
ところが数年前に私の戸籍を移動する機会があった際に、どうやらお役所の方で間違えて字形の似た新漢字で新しい戸籍を作ってしまったみたいなのだ。
「正しい字はこれこれであり、今の住民票および戸籍で使用している字は間違えている」と説明する私に対して、役人は無情にも私の署名を指して「その名前は間違っている」と主張するばかりで一歩もゆずらない。生まれてこのかたウン十年自分のアイデンティティとして信じてきたものを、アカの他人に否定される不合理さに眩暈を覚えたが、押し問答になって埒があかないのでいったん退いた。とりあえず、行政サービスの市民に対する姿勢について苦情を言ってうっぷんを晴らす方法がないか思案中であるが、最終的には戸籍の修正を申し込んで私の信じる正しい字に修正してもらうつもりである。しかし修正が認められた場合、新漢字でアイデンティファイされていた過去数年間の私の存在が否定されるような気がして不安でもある。